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                                         <1>中心テーマ・キーワード
                                          <2>「友情・努力・勝利」との関連

(3)作品のモチーフ  

<1>中心テーマ・キーワード

 『電影少女』は、人を好きになるとはどういうことか、つまり「愛」をテーマにしており、作品を通して「他人を思いやることの大切さ」を読者に伝えようとしている。

 たとえば洋太は、あいを連れ戻そうとビデオの中に入ったとき、自分の意識がつくりだした幻の貴志が、「恋愛なんて気がつけば残っているのはキズだけだ」というのに対し、「人を好きになるとエネルギーがわいてくるんだぜ」「恋愛はムダなんかじゃないよ」と答えている(図3-9-4)。また、ビデオガールのまいとの対戦中、あいが「ビデオガールが人を愛せないのなら」「オレはビデオガールを否定するぜ・・・」と答えているところにも、愛の大切さが強調されている。

 また、『電影少女』では、自分に素直になることのみならず、相手を思いやることにも大きな価値が置かれている。ただし、この作品には、「自分の魅力に気づけ」「自分らしさを大切にしろ」といったメッセージは含まれていない。たとえば、もえみはデートの時、洋太に少しでも気にいってもらおうとボーイッシュな服装をする。「でも・・・いつも一生懸命考えたのに」「あいちゃんぽくならなくて・・・」と落ち込むもえみに対して、あいは「それは大きな誤解だァ あいつはもえみちゃんみたいに女の子らしいコが好きなんだぜ」と答えている。このように、どのキャラクターも他人をうらやましがり、自分に対する自己評価はあまり高くない。

 作中、あいの「おまえのいいとこひとつめーっけ」という言葉が何度か出てくる(図3-9-5)。これは、あいが失恋した洋太を励ます際に、ビデオガールとして言うセリフである。これも、基本的には「自分」ではなく「他者」の「いいところ」を発見したことを表すものであり、「オレのいいとこひとつめーっけ」とはならない。「自分に自信を持て」「自分には自分なりの魅力がある」といった視点から物語は描かれていない。

 ビデオガールの本来の役目は、ビデオを借りてくれた男性の言うとおりに行動することである。「ビデオガールの追跡者」たちは「愛」を否定しているため、本来ビデオガールには「愛」を含めた感情システムはプログラムされていない。それゆえ、ビデオガールが人間を愛することはありえない。

 しかし、壊れたビデオデッキで再生されたあいは、可憐ではなく男勝りな性格に、そして愛や嫉妬といった感情を持って生まれてきた。あいは、本来のビデオガールにはないはずの「愛」や「意志」という、人間と同じ感情をもった一少女とし洋太の前に現れたのである。そのため、完璧主義者で「愛」を否定している「ビデオガールの追跡者」は、あいはビデオガールとして不良品だと見なし、彼女を抹殺するため、まいに指令を下す(図3-9-6)

 物語終盤のクライマックスで、「ビデオガールの追跡者」に消されそうになった時、あいは「ヨータのこと愛した気持ちを失くしてまうくらいなら!」「消えちまった方がいいんだよ」と答えている。あいは、今までの記憶を失い、再びビデオガールとして生まれ変わることを拒否している。最終話、あいはついに人間となることができたが、それは、友達や洋太の「愛」と、あいの「愛」があったからこそである。このように、この作品では終始「愛」がキーワードとなっている。


 

<2>友情・努力・勝利との関連

 【友情】

 この物語では、どちらかといえば「友情」よりも「愛情」がキーワードとなっている。恋愛マンガである以上当然かもしれないが、恋人は大切な存在として描かれており、同性同士の「友情」よりも異性への「愛情」の方が重点的に描かれている。しかし、あいが「オレはヨータ好きだよ」「・・・だけど・・・」「もえみちゃんも同じくらい好きなのに・・・」と泣いているシーンがあるように、やはり「友達」も大切な存在として描かれている。

 また、物語終盤では、あいが記憶を失い、普通のビデオガールとして洋太の前に現れたとき、もえみが「がんばって!!あいちゃん!弄内君を想う気持ち強く信じて!!」と言い、記憶を取り戻そうとして激しい頭痛に苦しむあいにエールを送るシーンがある。

 さらに最終回では、もえみ、貴志、伸子らがそれぞれ心の中で洋太に感謝の言葉を述べる中、洋太はあいに対してこれを述べている。ビデオガールとして生きられる再生時間が切れてしまい、あいが消えてから数ヶ月が過ぎていた。しかし、皆が空に向かって「あいちゃん」と微笑みながらつぶやくと、彼らの願いが届いたかのように、あいが人間としてこの世界へ戻ってきた。ここでは、洋太の愛だけでなく、友達の思いも合わせてあいが人間になれたことが示されており、この作品では「友情」も「愛情」と同じく大切なものとなっていよう。

 【努力】

 『電影少女』では、「努力」はほとんど重要視されていない。たしかに、つきあってからは前途多難で、上手く仲を取り繕おうと努力はするものの、基本的に主人公の方からは行動を起こしていない。彼が動かなくても、彼のことを好きになってくれる女の子が側にいるからである。

 洋太自身が作品の中で何度も自己嫌悪に陥っているように、彼はもともと恋愛に対して受身の姿勢であり、絵本作家になるという夢もあいに頼って叶えようとしている。こうしたことからも、洋太が特別に努力したわけではないことがわかる。

 ただし、物語終盤、洋太はあいが「ビデオガールの追跡者」の操り人形になることよりも、この世から消えることを選択し、ビデオデッキを破壊した。そのため、「ビデオガールの追跡者」をついに倒すことができたが、あいも光の粒となって消えていった。あいの消えゆく瞬間を見届けた洋太は、それまで自分が周囲の人々を傷つけてきたことを振り返り、「オレは生まれ変わろう」「それがせめてものみんなに対するつぐないじゃないかと思う」と決意している。

 【勝利】

 『電影少女』は恋愛マンガであるため、ここでは「好きな異性と結ばれる」ことを「勝利」として考えたい。

 この物語では、女の子が多数登場するが、主人公を脅かすようなライバルは登場していない。女性同士のライバル争いはあるものの、洋太にとって手強いライバルとなる男性は特にいない。しかし、あいを狙う「ビデオガールの追跡者」は洋太の敵でもあり、あいを人間にしてやりたいと強く願う洋太は、命懸けで彼らに立ち向かっていった。そして、ついに「ビデオガールの追跡者」を倒した洋太は、最終話では絵本を一人で完成させ、人間として蘇生されたあいと結ばれる。洋太は、最後の最後で夢と恋の両方をつかんだのである。 

                            

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